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■ニューヨークから ニューヨークに在住されている方からのリポートです。
 
●小川知広さんからのメール
 
現在のNYの状況をお知らせする前に、この惨事があった朝、私が何を見たかを御知らせします。

私の仕事場はWTCから約10ブロック北(徒歩13分程)にあり、ちょうどハイジャック機がビルに激突・爆発する時間は、ビルを見ながら出勤途中でした。

Canalの駅を出ると、すでに1機目がビルに突入した後でビルにはポッカリと穴があき、そこから黒い煙が立ち昇っている状態でした。 周囲の人の話を聞くと、旅客機がぶつかったらしいと言っていましたが、普段ではその時間帯にWTC上空を飛行する飛行機は無く、操縦ミスにしてはおかしいと思いながら歩いておりました。 すると、目の前にもう1機違う旅客機が現れ・・・ 激突、爆発。 わずか数百メートルの出来事でした。 

爆発と同時に空気は大きく揺れ、快晴だった青空にオレンジ色の炎と黒い煙がまるでキノコ雲のように昇り、多くの散乱物が地上に降り注いできました。その時点ではまだ周囲にはNYFD・NYPDの姿は見られませんでしたが、直ぐにサイレンの音がし、多くの消防車・パトカーが道路を猛スピードで走りだし、30分もせずにFBIの車も見られるようになりました。

私は直ぐに仕事場へ行き、ラジオをONにし何が起こったのかを聞きながら、事の成り行きを見守っていました。 約1時間程した時に旅客機がハイジャックされ、ペンタゴンにも激突したという放送が流れた時点で、この惨事がテロであるとNYの人間は初めて知らされたのです。快晴の空は黒い煙で覆われ火の勢いが増すなかで、ビルの上部からは逃げ場を失った多くの人々が身投げをし、私達はなす術もなくただただ見守るだけの状態でした。

ハイジャック機の激突からビルの崩壊までの約2時間の間、携帯電話での通信が不通になり、道にいた多くの人々が、家族へ無事の連絡を取るために私達の仕事場へ訪れてきました。 中にはWTCで家族が仕事をしていると、泣きながら訪れる方もおりました。

ビルの崩壊後、道路はWTCより北に約2Kmの所より遮断され、それより南に住む住人は退去を余儀なくされました。 他にも、道路は数ブロック事に区切られ、自由に歩く事が出来ない状態でした。 また地下鉄も事件後直ぐに運休になりましたが、午後4時には一部を除き運休を再開し、Manhattan近郊に住む人間は帰路に着く事が出来るようになりました。

惨事後数日は、道路が数ブロック事に規制され、自由に行動する事が出来なくなり、この賑やかなNYの街がゴーストタウンのようでした。

先日(月曜日)より立ち入り禁止区域が縮小され、WTCのあった周辺以外は自由に歩き回る事ができ、ほとんどの店や仕事が再開されています。

NY内でのボランティアはRed Crossが中心になって、被害者等の世話に動いております。 ただこのボランティアに参加するにあたり、いくつかの講習を受けなければいけないという事で、ボランティアに参加したいという人々の貴意を損ね、人数が減ってきているというのが現状のようです。

行方不明者の捜索ですが、病院へ運び込まれた方々に限りNYPD/NYFDで名簿が見られるようになっていますし、電話・インターネットでの問い合わせに応対しているようです。 また街のあちらこちらには、家族が貼った顔写真いりの紙が見られます。

ただNYPDの友人の話では、現場はまるで地獄の有様だという事で、遺体を探すのも容易ではない状態だそうです。 また現場で働く方々は12時間シフトを余儀なくされ、憔悴しきった様子だとも話しておりました。

NYは多くの移民で構成されている街です。 テロの中心人物が確定された今、学校・街でイスラム教徒に危害を与えるという、悲しい事件も起きました。 

少しずつですが、日常のNYは戻ってきています。 しかし人々の気持ちや顔は、憔悴きってるというのが現状です。

NYの報告でした

小川 知広



●石井千里さんからのメール  
   

見上げれば、いつもそこにあったワールド・トレード・センター(WTC)が消えてしまった。日本からのゲストを連れて屋上に上がり、観光ガイドよろしく『ここから見下ろす橋々は、手前からBMW(ブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムズバーグ橋)です』などと教え、ブルックリン・ハイツから望む見事なスカイラインのシルエットや、最上階のレストランから見える夜景など、思い出までもが崩壊してしまった。

ニューヨーカーにとって、WTCは灯台のような存在だったと思う。遺族や友人を失った人達の深い悲しみと共に、被害者でない人々にもトラウマとなって残るだろう。マンハッタンの空を飛ぶ鳥達さえ目印を失って戸惑っているようだ。

アップタウンに住んでいる私は、今でも上空の飛行機の音に「ハッ」とし、毎日のようにビルの谷間から聞こえてくるサイレンの音も、今では違う音に聞こえる。「あの日」から見るもの聞くもの全てが違うような気がする。

「グラウンド・ゼロ」では、復興に向けて努力する人達、ボランティアの人達、それを応援する米国民達、街中では独立記念日でも見たこともない数の星条旗がたなびいて一丸となっている。ドネーションやボランティアなど、あっという間に揃ってしまうほど国民の対応は素早く、私など追いかけていくのがやっとだ。

TVではブッシュ大統領の声明が毎日アップデートされ、刻々と戦争に向かっていることを実感する。もはやアフガニスタンと米国だけでなく、世界のバランスが大きく変わり、イスラエル、パレスチナそして世界中を巻き込んだ戦争に発展する可能性もあるだろう。もはや日本でさえ例外ではない。

7割が「市民が犠牲になっても報復するべきだ」という米国、進んで殉教者になるというイスラム過激派。米国の「報復」によって終結しないであろう戦いが始まろうとしている。本当に恐ろしいことが起こるのは、これからからなのだ。

このような時にこそ、「日本ならでは」の協力やメッセージを世界に向けて発信できるのだから、小泉首相にもリーダーシップを発揮して貰いたい。そうでなければ国連の常任理事国などを目指しても意味が無いと思う。

   
     
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